男女共同参画推進委員会

情報・システム研究機構
 

男女共同参画推進コラム


2014/12/10

第九回 Women’s Forum Global Meetingに参加して

情報・システム研究機構 国立情報学研究所 新井 紀子

            平成26年12月8日

 ここ数年、国際的な女性フォーラムが盛んに開催されている。その中でも、アメリカを中心に開催されるInternational Women’s Forumとヨーロッパを中心に開催されるWomen’s Forumは二大国際女性フォーラムとして多くの参加者を集めている。この度、Women’s Forumが初開催の地フランス ドーヴィルで十周年のグローバルミーティングを開催するにあたり招待講演者としてお招き頂いた。2011年から国立情報学研究所を中心に進めている「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトが、ウォールストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズ等で紹介されたことが事務局の目に留まったらしい。女性ばかりの、しかも研究集会ではないフォーラムは初めてのことであるし、過去の招待講演者を眺めると錚々たる顔ぶれが並んでいるので恐れをなしたが、貴重な機会と思いお受けすることにした。何でもWomen’s Forumが日本の女性研究者を招待するのは今回が初めてだということで、事前にわざわざインタビュアーを派遣して下さった。プロジェクトの概要以外にも、日本という社会における女性の地位がOECD諸国の中で最低レベルにある国で、しかも、AIという男性優位の研究環境の中でプロジェクトを率いるのはどのような気持ちか、など多岐にわたる質問を受けた。様々な研究会でも政府の委員会でも、男性の中に自分一人が女性という環境に慣れっこになっていたが、そのことが異常な事態であることを再認識せざるを得なかった。

 Women’s Forumの特徴は、講演はプレゼンテーション形式ではなくインタビューまたはディスカッション形式で行われるということ、また参加者間のネットワークビルディングにその多くの時間が使われるということにあった。風光明媚なドーヴィルの高級ホテルを三つも借り切って行われるという規模に度肝を抜かれていると、「誰と知り合うべきかターゲットを絞らないとあっという間に最終日になってしまうわよ」と隣の席のイギリス人から忠告を受けた。ちなみに彼女は、現在もまだアフリカを中心に28か国以上で行われているFGM(女性器切除)をやめさせる活動をしているNPOの代表だという。「FGMをやめさせるのはとても困難なの。彼らはなぜFGMを続けるかについての理由をいくつでも考える。宗教や文化の多様性だとか、女性が進んで受け入れているだとか。欧米に赴任してくる教育を受けた外交官でさえ娘にFGMを受けさせることがある」。世界には日本では想像もつかないような多様なニーズとコンフリクトがあり、NPOやNGO、さらに企業家たちが縦横無尽に行き来しながら問題解決を図っている。それは世界経済に不可欠な一部なのである。彼女たちにとってこのような女性フォーラムに出席し、人々に活動の必要を訴え、支援者やスポンサーを獲得することは社交などではなく正に仕事の中心的課題なのである。特別講演者のIMF専務理事のラガルド女史をはじめとして、全員が快活によく喋り、美しく着飾り、そして何より聡明で正義感が強い。世界最大級の広告代理店パブリシスのCEOであるレヴィ氏が、インタビュアーであるワシントン・ポストのウェイマス女史にピンクの椅子を譲ると、会場から大きなブーイングが起こる一幕もあった。

 「ロボットは大学入試を突破できるか」と題した私の講演は、そういう中で異色ではあったが、GoogleやPayPalといったIT企業やジャーナリストに関心を持って頂けたようであった。フランスのあるジャーナリストからはAIやロボットが及ぼす社会的影響についての記事をぜひ書きたいと追加取材の依頼も受けた。

 講演の最後に私は一枚の図を聴衆に提示した。それは、人工知能学会が発行する2014年1月1日号の学会誌「人工知能」の表紙の画像である。背中にケーブルをつけた女性型アンドロイドが箒を手に掃除をしているイラストで、これにより人工知能学会は女性蔑視との非難を浴び公式に謝罪に追い込まれた。一方、これが宣伝効果となったのか今年人工知能学会は会員数と読者数を大きく伸ばしたという曰くつきの一枚だ。「私は『そのような国』で、このAIプロジェクトを率いている」というと会場からため息と拍手が起こった。私は特に自らの見解を述べる必要を感じなかった。なぜなら、学会誌がそのような図を表紙に採用することは完全に「アウト」であることの合意がそこに存在したためである。

 グローバルスタンダードでは「アウト」であるにも関わらず、それを採用する様々な理由を、社会的に優位を手にした側が主張する――そういう意味では私たちの社会は未だFGMの在る社会とそう変わりないのである。