情報・システム研究機構 女性研究者活動支援室

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研究者紹介
2017/07/19

統計数理研究所 特任助教 伊高静先生

統計数理研究所
特任助教

伊高静先生
Photo by 広瀬慎也


 現在の研究について教えてください

 統計数理研究所に着任して1年ですので、これまで林学分野の研究をする中で蓄積してきた実データをいかに解析するか、多彩な解析手法を現在学びつつあるところです。これまで行ってきたのは木の年輪を解析する「年輪学」と地図上の情報を見やすく加工・表示するテクニックである「GIS」の扱いですが、広範な森林問題を解決するために統計数理的なアプローチ、特に数理最適化の手法を駆使できるようになりたいと考えています。

 大学卒業後、森林学を学ぶためにドイツへ行かれたということですが、なぜ修士課程から、ドイツへの留学を考えたのでしょうか?

 高校の頃に遡るのですが、私が通った都立北園高校というところは第二外国語が選択可能だったので、気軽な気持ちでドイツ語を選択しました。その後、大学受験や大学の一般教養でドイツ語を選択することが重なり、ドイツ語の学力とともに学習へのモチベーションも上がってきて、ついにはintensive courseまで受講したほどでした。一方、大学では林学を専攻したのですが、興味があった環境問題や林学はドイツが非常に進んでいるということを知り、たまたま学んでいた語学と留学先の候補が合致した訳です。加えて、当時のドイツでは前期博士課程はほぼ無償だったので、語学、興味、そして経済的な理由と、いくつかの条件が重なってドイツ留学を決めたと思います。

 ドイツ留学の印象を聞かせてください。

 私が学生時代に滞在していたフライブルグという町はドイツの南部で山が近く、自然好きな人が多く暮らしており、エコシティという印象がありました。バブル終了後の余韻が残った日本とは異なる、物欲的・ブランド志向とはかけ離れた素朴な生活に居心地の良さを感じました。
 しかし語学は本当に大変でした。大学院で学べるレベルに達するまで必死で勉強しました。1年の語学修行の後に大学院に進み森林学を学びはじめましたが、そこでもドイツ語の方言や、授業で頻発するラテン語に苦しみました。

 森林学を学ぶ環境として、ドイツと日本との違いはどう感じられましたか?

 日本で学際研究という言葉を頻繁に聞くようになったのはつい最近のことのように思いますが、ドイツの大学では、学際研究とは?なぜ学際研究は大切なのか?を学ぶ授業が私の留学当時からありました。そこでは、先生と学生の間で活発な意見が交わされていました。
 学生時代に楽しかったことで、エクスカーションという野外実習がありました。森林学の実際を学ぶために森を見に行くのですが、複数選択したうちの一つでは、ドナウ川に沿って1週間かけて上流から下流へ自転車で移動しながら、森を含めた川周辺の植生や土地利用のされ方を勉強しました。途中、農家の納屋やユースホステルに泊まったのも良い思い出です。また、真冬の森に集合して、ボールペンのインクが出なくなるほどの寒さの中、「今、目の前にある森、この森はどういう森か?あなただったらこの森をどう管理するか?」という問いに答えなければならないこともありました。学生は寒さのあまり、早く課題を終えて町に戻り、クリスマスマーケットのホットワインを飲んで体を温めたいという考えしかなかったのですが、実践的な課題に取り組むプログラムとしては優れていたと思います。
 また、懸賞論文をドイツ語で書いたことも思い出の一つです。私は地図を作るのが好きで、近所のシュヴァルツヴァルト(ドイツ語で「黒い森」)の一部をくまなく歩きまわり、どの道を通れば森の良い影響を受けられるか、フィトンチッドの多い針葉樹の区域だけでなく変化に富んだ景色を楽しめるようなルートを考えて、それについて述べた論文を書きました。しかし、地図を持っていながら、けもの道に迷い込んでしまうことも度々でした。

 ドイツ語で懸賞論文を書けたなんて、すごいですね。

 10年もいればドイツ語の読み書きはある程度出来るようになりましたが、問題は英語で、あなたの英語はドイツ語っぽいと人に良く言われます。主文、副文といった形で、ドイツ語的な骨格の文章を書いてしまいますし、実はドイツ語で考えて、それを英語に訳しているようです。英語が出来ない研究者はありえないと、ドイツで会社勤めをしながら、英語力向上のためカナダやアメリカへ行き、インターンとして働いた経験もあります。

 前期課程を修了して、すぐに後期課程への進学はしなかったのはなぜですか?

 経済的な面からも就職しなければという思いは強かったのですが、ドイツで学ぶうちに、研究以外のことを知らなくて良いのだろうかと疑問を持ったのが大きな理由です。ドイツでは大学の先生になる前に、インターン等の社会経験をすることが推奨されていたと思います。これまで私が受けた教育の中でも、実社会での経験がある先生の方が、学生に伝えたいこと、なぜこれを学ばなければならないのかという問いに対する答え、授業に対するモチベーション、いずれもはっきりとしていると思いました。森林学を学ぶうちに、一度この閉じられた学問の世界から出て、社会の動きを知りたいと考える気持ちが強まったため、まずは木材の国際貿易に関わる仕事に就きました。

 ヨーロッパやアメリカでの実社会経験を経た後、日本に戻られたきっかけは何でしたか?

 博士課程に復帰することを希望しつつ、勤め先を転々としながら、数年が経過しましたが、現在の夫と現地(ドイツ)で出会い、彼が海外赴任を終えて帰国する時に、私も決意して日本に帰国しました。知人誰もが、私が日本人と結婚するなど信じられないと言いましたし、1年足らずで離婚するだろうという予想がもっぱらでしたが、残念ながら(?)10年近く経った今も結婚生活が続いています。

 海外経験が長い日本人女性の中にはそのまま外国に定住してしまう方をしばしば見かけますが、よくぞ日本に帰ってきてくださいました、という感じです。帰国後、海外生活とのギャップが大きくて戸惑われたことはありませんでしたか?

 日本と外国のギャップというよりは、帰国と同時に結婚し、後に出産したことで、生活が激変したことの方が大きかったと思います。帰国後、夫の勤務先のある福岡に住みはじめました。以前にお世話になったことのある九州大学の先生の下で技術補佐員として勤めた後、九州大学の大学院博士課程に進学しました。33歳のときでした。まもなく第一子が生まれ、研究室に長い時間滞在できなくなって、研究生活に非常に不自由を感じました。研究に長い時間をかけられない私の研究の進度が遅々としていたので、予定通りに博士号を取得できるのか研究室のメンバー誰もが半信半疑でいたようですが、私の最後の頑張りに皆驚いて、論文や提出物などの修正に協力してくれました。おかげさまで、修了条件の論文2報を最終年度に通すことができ、年限以内で後期博士課程を修了しました。

 博士課程での研究課題はどのような内容だったのでしょうか?

 年輪の分析から森の成り立ちを調べる森林動態の研究を行いました。屋久島の森の歴史は、実は分かっていないことが多いのです。神聖な森とされ、神が許さないということで立ち入りを禁じられていたという言い伝えもありますが、一方で古文書には江戸時代の伐採の記録もあり、実際に人の手で切り倒された切株も残っていますので、完全な原始林ではないことが明らかです。実は記録に残っている以前にも屋久杉が切られた形跡があります。鹿児島にある神社の記録によると、古文書に残る記録以前の伐採による屋久杉材を使用していたことが分かっています。ですので、現在までにどのような頻度で、どのぐらいの本数の木が切られたのかは不明ということになります。
 現在は、屋久島は世界遺産ということで、樹木の伐採を含め人の手を入れることが禁じられていますが、現在の森が完全な原始林でないことを踏まえ、今後自然に任せたら現在の姿を維持できない可能性もあることを考慮して、人間による森林管理の可能性も検討するべきでしょう。遺伝子レベルでの多様性を維持したいと考えるか、自然の流れに任せて滅びるものは滅びても仕方ないと考えるのか、私達人間が何に重きを置くかによって、屋久島の森の将来が決まることを知って、長期的な視野に立って議論しなければならない。私たちはそういう時代に生きていると思います。
 博士号取得後、第二子を出産し半年の休業を経験しましたが、九州大学研究員として研究に復帰し、2015年12月から統計数理研究所で特任助教となり現在に至っています。

 福岡に勤務先があるご主人と離れ、二人のお子さんの世話をしながら単身赴任ということでしょうか。

 実母と同居し、育児のサポートをしてもらっています。私と兄妹を育てた経験があるだけあって、育児や家事の細かいところまで分かってくれる、一番の理解者で、強力なサポーターです。母の存在がなければ、現在のように研究は続けられなかったかもしれません。

 現在の統計数理研究所の利点を生かして、どんな研究の展開をしていきたいですか?

 現在の環境は、統計数理のあらゆる解析手法、特に数理最適化の手法を実際の研究に取り入れることのできるチャンスだと思っています。これまで農学部で林学をやってきて思うことは、林学は森林というキーワードで実にさまざまなテーマを包括する学問であるために、守備範囲が広く浅くなる傾向がありました。しかし、研究者を続けていくには、ひとつ「武器」になるものが必要だと自覚していました。幅広い知識を持ちつつも、これのスペシャリストだと言える何かです。
 統計数理研究所で日々接するのは統計数理を極めている優れた研究者ばかり、着任後すぐはそうしたレベルに達することはできないと精神的にもがいていましたが、近頃は自分の研究に役立つ、使える手法を見出すことが重要というスタンスに変わってきました。
 私の強みは解析したい実際のデータを持っていることだと、統計数理研究所の研究者仲間に言われます。実社会の経験から社会問題のいくつかに強い危機感を持っていて、その解決に取り組みたいという強いモチベーションがあることでは、他の研究者に負けないと思います。実データを解析した結果を理解できなければ、より適した解析手法を取捨選択することもできません。この研究所で得られる優れた研究者との人脈を通じて、今後の共同研究につなげていきたいですし、解析結果のフィードバックを行うことで、解析手法そのものの改良にもある程度貢献できるのではと考えています。

 例えば10年後はどのような問題に取り組まれているとお思いでしょうか?

 数理最適化の手法を使いこなせるようになってからは、日本国内と発展途上国における森林管理の問題に取り組みたいと考えています。数理最適化の手法は、かなり前から存在するにもかかわらず、日本国内の林業経営にはほとんど生かされていません。マネジメントプランを立てる手助けになる素晴らしい手法ですので、現場への橋渡し的な役割を担っていきたいです。
 また途上国において、森林計画を立てる人の不在は、世界的に見て最も深刻な環境問題を引き起こしています。数理最適化の手法で最適な解が出ますので、それに基づいて、どういう森を作っていきましょうか?と地元の人と話し合いながら計画を立て、長期に渡って関わりながら計画を見直していく、最終的に地元の人の理想とする森林をつくり、環境保全と森林経営の両面で満足できる形で世界の林業に貢献していくのが私の将来の夢です。

 最後に、教育面での抱負や、若い世代へのメッセージ等ありましたらお聞かせください。

 統計数理研究所での雇用は3年ですので、終了後は大学等の教育研究機関へ異動することになると思っています。
 研究所では学生の受け入れがわずかですので、将来は積極的に学生の教育に関わりたいと考えています。私は一般的な研究者と比べて若干多くの実社会経験をしてきましたので、多面的なものの見方をする訓練を積んできていると思います。学生に対する講義においても、専門分野の知識だけを教授するというよりは、より広い枠組みを伝えたいと思っています。例を挙げると、ある一つのニュースについて、メディアはこう報道しているけれど、違う背景もある、別な意見もあるということを、実際の例を挙げ、学生と一緒に考えながら、物事の本質を見抜く訓練をする、物事の多面性について考えるきっかけとなるような講義をしたいと思っています。その中に専門知識を位置付けることで、それを学ぶ本当の意味が分かってきます。

 お話、どうもありがとうございました。今後の一層のご活躍を期待しています。

 インタビューを終えて

 途上国の森林を地元の人との対話を通してつくりあげていきたいという伊高先生の言葉からは、現場を実際に見てこられた経験の蓄積からの力強さを感じました。実社会での苦労を重ねた上での問題意識をバネとして博士を取得されたことによって、これまで困難だった実業と学術研究との間の橋渡し的な役割を担うことができる希少な人材になられたものと思います。また学生の教育についても、日本と海外との文化的ギャップや学問の理想とままならない社会の現実のギャップに苦しんでこられたからこそ、ひるむことなく若い学生と向き合っていかれるのではと感じました。
 産業界と大学等研究機関との間で博士人材の流動性を活性化することは、文科省でも現在力を入れているようですので、伊高先生のように産業界を経験されている研究者の存在感は今後より一層高まっていくものと思います。現在の多忙な子育て期を乗り越え、5年後、10年後に、伊高先生が日本と途上国の森林管理を考える上で欠くべからざる人材として活躍されているように、情報・システム研究機構の女性研究者活動支援室としても全力で応援をつづけていきたいと考えています。

参照:「博士人材の社会の多様な場での活躍促進に向けて」

2017/02/06

統計数理研究所 データ科学研究系 助教 廣瀨雅代先生

統計数理研究所
データ科学研究系 助教

廣瀨雅代先生
 


現在の研究テーマについて教えてください

 「各地域や領域別の特性値への効率的な統計的推測法」についての研究を行っています。全国規模で行われた調査のデータを用いれば全国の平均等の推定値は信頼できるものであると通常は考えられます。しかしその際、同じデータをもとに市区町村などの細かな地域別の特徴も知ろうとする場合、それぞれの地域のサンプルサイズが小さくなりやすく、その地域の情報だけを用いた推定精度は低くなってしまいがちです。この状況に対して、ある条件下では、他の地域の情報を適切に借りることによってより精度の高い地域像を類推できるような推定手法が構築される一方、実践面ではこの方法に対するいくつかの問題も指摘されています。その問題点を解決すると同時に推定精度も損なわないような、実践面で取り扱いやすい新たな統計手法の開発を行っています。

統計学を志したきっかけは何でしたか?

 高校3年の夏休み、受験までの限られた時間を費やして数日間、ひとつの物理の公式を自力で証明しようと取り組んだことがありました。すぐ答えを見たり、公式を暗記する方が受験生にとっては時間の節約になり効率的であるのかもしれませんが、なぜそんなことをしようとしたのか?というと、今はよく知られている公式といえども元々は歴史上の誰かが証明したものなのだから、自分も挑戦してみようと考えたからです。結果的に自力で完璧に証明することは出来なかったのですが、自分なりに時間をかけて考えた上で答えを見たとき、その証明が非常にエレガントで、とても美しいものに思えたのです。
 その一方で、同じく高校生の頃ですが、SARS(編集注:重症急性呼吸器症候群、中国で発生し多数の死者を出した)が流行した際、薬が効くものという先入観が覆されて大変ショックを受けました。その時、新規のものを作り出す創薬にも魅力を感じました。結局、抽象的な数学の世界の魅力に惹かれて大学は数学寄りの学部に進学したのですが、大学3年の頃に、製薬会社で創薬の過程で統計学が不可欠であることを知り、数学と創薬、私がやりたかった2つのことの接点に統計学という分野があることを知りました。それが、統計学を学ぼうとしたきっかけでした。

すでに高校生の頃には研究者の大切な素質である自立心と粘り強さを兼ね備えていたのですね。本格的に研究の道に進もうと思われたのはいつ頃でしたか?

 学部の頃には統計学に魅力を感じていたのですが、当時、私が所属していた学科には統計学に関する講義がなく、ほぼ独学状態で大学院に進学しました。とても自由に研究ができる環境でゼミの発表準備等に打ち込んでいるうちにますます研究が楽しくなってきましたが、ひとりでやっていて行き詰まりを感じることもありました。そんな時指導教官からの勧めもあり、私のテーマに近い分野の研究が進んでいたアメリカへ留学をしました。その時はここでベストを尽くしても自身の研究テーマに目途が付かなかったら、自分には研究の能力がないと諦める覚悟でしたが、幸いアメリカで良い先生との出会いがあり現在に至っています。その先生とは今でも共同研究を続けています。

統計数理研究所の雰囲気はどうですか?

 研究環境はとても良いと思います。何より、同じ研究所内でも様々な分野を研究している方がたくさんいて、視野が広がります。研究所では、私は一人で黙々と考えたり、数値実験したり、思いついた数式を書いたりしていることが多いのですが、時折話し相手になってくれる様々な立場の方もいて何かと助けられています。

今後、廣瀨先生の研究分野はどのような面で社会への応用が可能になりそうですか?

 医学・健康の分野への応用は特に重要だと考えていますが、他にも様々な分野に適応が可能だと思います。少なくとも他国では、国で行われるような公的な統計の分野でも私が取り組んでいる問題が重要視されています。今後さまざまな分野での需要を把握することで、従来使われてきた統計的手法の問題点を見直すことが出来ると考えています。そのためには視野を広げ、多様な社会問題への取り組みを学んでいきたいと思っています。

将来はどのような研究に取り組みたいと考えていますか?

 アメリカ留学時に、社会的な課題として貧困という問題があることに気づきました。政府からの予算は限りがありますが、推定精度があまりよくない状態のデータを基に各地方に均等に予算を割り振ることは平等ではありません。こうした場合に、推定精度の向上というのは実際にとても有用だと知ることができました。そのためには現場の問題を的確に把握することが大切ですので、現在はそういったことも考えながら研究をしています。たとえば、先進国では当たり前に使っている計算機ですが、これに強く依存しすぎると、新興国では扱いにくいのではないだろうか…ということも考えながら研究をしています。将来は格差を是正する方向で、経済的困窮者により効果的に支援の手が届くよう、地域ごとに異なる貧困率等の統計的推測法の精度をさらに上げることによって、社会貢献ができることを望んでいます。

私の育児生活
2017/07/19

ロングインタビュー 准教授、主夫になる

准教授主夫になる

ロングインタビュー:准教授、主夫になる!〜3か月の育児休業の理想と現実〜

2016年1月から3月にかけて3か月間育児休業を取得された国立極地研究所の猪上淳先生に、育児休業とその前後の子育てにまつわる経験談を伺いました。奥様も常勤の 研究者をされており、共働きの研究者夫婦が育児期を乗り切るためにどのようなご苦労をされているのか、お伝えできればと思います。



―今回、育児休業を取得して子育てに取り組もうと考えたきっかけを教えてください

第一子の時は育児休業を取りませんでした。仕事柄、長期出張で家を不在にすることがあるのですが、第一子の乳児期と長期の観測航海が重なってしまい、約1か月半、妻は子供を保育園に預けながら通常勤務をしていました。私が不在の間、彼女がすべてを一人でこなすことは大変だったので、ベビーシッターのお世話にならざるを得ず、経済的にもかなりの負担でした。このように第一子のときに単身で苦労した妻から、次(第二子の時)は育児休業を取ってほしい、と言われていたこともあり、第二子の時にはしっかり3か月間の育児休業を取ろうと考えていました。
最近読んだ日本経済新聞の記事によると、育児休業取得率に関する2015年の報告では、育休を取得する男性の4人に3人は有給休暇でも対応できる日数を育児休業に充てているという状況だそうです。(『男性の育休取得日数は56.9%が5日未満で74.7%が2週間未満に収まる。年休でも対応可能な日数である。』(労働政策研究・研修機構主任研究員 池田心豪「男性の育休取得率最高 道半ば 年休で育児も」2016年8月6日 日本経済新聞朝刊)
第二子が産まれたのは2015年の4月でした。妻の育児休業は2016年の3月まで取得が可能でしたが、2015年の12月までとし、入れ替わりで私が2016年の1月から3月までの3か月間育児休業をすることにしました。家事・育児を私が一手に引き受け、完全に「主夫」となったわけです。


―休業される前に、職場の上司・同僚の同意を求める際に心がけた点についてお聞かせください。

教育面では、博士課程の学生に対しては育児休業前に博士号を取得できるよう配慮し、また、講義については2016年度は後期に開講する科目を担当できるように依頼をしました。また、例年秋にある観測航海も、2015年は代わりの研究員に行ってもらいました。2016年、2017年も長期出張はしない予定です。2018年(第二子が3才になる)までの間は、できるだけ海外出張は控えたいと思っています。(※とは言いつつも復帰後の半年間で4回の海外出張をしてしまいました)
職場の理解については、3か月間育児休業を取ると言うと「長い間休めていいね」と言われることもありましたが、これから子育てに取り組もうという若手世代からは「すごいですね」という反応もありました。概して職場の理解はあると思いますが、育児休業制度に関してはよく知られていないというのが実情だと思います。


―育児休暇と育児休業との違いについて、誤解が多いということですが。

この2つの言葉はよく混同して使われているようです。正しくは育児「休暇」という言葉はなく、相当するのは職員就業規則に定められた有給休暇の一種である特別休暇になります。一方、育児休業では職場からの給与はありません。雇用保険から育児休業給付金を2ヶ月に一度支給されますが、休業直後2ヶ月間は収入が無い状態で、若い世代にとっては経済的に厳しいこともあると思います。私は今回、有給休暇を使わず、育児休業を取得しました。有給休暇は温存し、育児休業後の不測のときに備えています。急な病気や怪我など、子育て中には突発的に仕事を休まなければならない事態が出てきますので。(※復帰後半年間で看護休暇を含む10日間をお休みさせていただきました)


―育児休業中の一日のおおまかなスケジュールを教えてください。

妻が朝6時前に出勤した後、私は6時に起床し、子供に食事をさせ、9時には上の子を保育園に登園させます。午後4時に迎えに行くまでは下の子と2人きりです。ミルクをあげて寝かしつけ、その隙に布団干しや部屋の掃除などをします。昼食は子供中心で、自分の食事はおろそかになりがちでした。午後に下の子が昼寝をする間に職場のメールを流し読みし、簡単な返事をできるものだけ処理をします。妻は夕方5時に帰宅します。そういった毎日です。さらに、子供が風邪をひけば小児科や耳鼻科に通ったり、3歳の上の子も活発になる時期だったので、怪我をして整形外科に通院したりという時期もありました。


―想像する以上に多忙な毎日だったようですが、育児休業中、仕事のことを考える時間はあったのでしょうか。

平日の昼間、子供が寝ている間には仕事のことを考えたり、メールチェックをする時間もありましたが、1日の中でそのような時間は1時間程度しかありませんでした。論文査読や海外の学会の招待講演の依頼等もありましたが、時間的に対応できませんのですべて断っていました。しかし、私の育児休業期間が年度末に重なったこともあり、予算関係の資料作成や、研究員採用の面でどうしても対応せざるをえない仕事もありました。非常に重要だった案件の1つとしては、私がある研究プロジェクトの1テーマの実施責任者であったため、部下と仕事の進捗状況を確認するだけでなく、関係者とスカイプ会議をしなければなりませんでした。そんな時は、タイミングを見計らって子供に食事やおやつを食べさせ、しばらくして眠くなった子供を寝かしつけ、その間にスカイプ会議をしたりと工夫していました。
こんな訳でメール一本送るのにも相当苦労していたのですが、ここに育児休業の理想と現実が見えてきます。当機構の育児休業等に関する規定では「育児休業をしている職員は、職員としての身分を保有するが、職務に従事しない」とあります。これはすなわち、育児休業中は仕事をせずに育児に集中しなさいということだと思うのですが、実際には完全に仕事を意識しないというのは難しかった ですね。これは、当事者が育児に専念すると決めていても、職場の人間が育児休業制度の意味するところを理解していないと解決できません。また、音信不通で対応しないでいると復帰後に意図しない不利益を被る可能性も否定できません。いまはメールで簡単に仕事を振れる時代です。子供が昼寝している間にでもできるだろうという考えが、ギャップを生み出します。フリーの1時間を作るのがどんなに大変なことか!生後9ヶ月から11ヶ月にかけては、ハイハイからつかまり立ちへと身体能力が急激に向上してきますので、目が離せなくなり、さらにお昼寝の時間も減ってくるため、私の自由時間もそれに連動して減ってきます。


―海外の研究者とのやり取りの中で、育児休業取得について話したことはありますか。

私が育児休業を3か月取った、と言うと海外の研究者からの評判は良かったですね。共同研究で知り合う海外の研究者にはノルウェー等の北欧の研究者が多いのですが、彼らは普段から夕方4時に仕事を終え、帰宅後は家族との時間を過ごすのが通常です。制度的にも、両親が交互に育児休業を取る方が経済的にメリットがある仕組みになっているようです。


―育児休業を取ったことについて、良かったと思える点はありますか。

第二子の育児は、第一子の経験からおおよその発達段階を予測でき、子育てそのものに慣れてきているというメリットがあります。そもそも(自分で言うのもなんですが)普段から育児・家事に注力していますので、「乳児食を作るのがこんなに大変だった」とか「妻がこんなに家事で苦労していたのか」などのような、新米パパのような発見は正直ありません。ただ、時間の大切さについては敏感になったと思います。また、第二子につい目がいきがちなのですが、第一子との時間をいつもよりも長く持てたというのは良かったと思います。保育園から帰ってきたあとは、(夕飯までの中途半端な時間をどのように使うか苦慮した結果)図書館に行くことが多く、いまでは絵本が大好きになっています。
あとは、保育園の先生や園児たち、小児科の先生などと顔見知りになり、頻繁に情報交換できたのも良かったです。
職場復帰後の現在はごく淡々と日々の生活を送っています。7時15分に朝一で保育園に2人をあずけるのが私の役割で、毎日が時間との戦いですが。平日の睡眠時間は5時間を切っており、毎日くたくたですが、普通に仕事に行けることは家族が健康な状態である証でもあるので、実は幸せなことなのです。育児休業体験を含めて、現在の育児生活の本当の効果は、10年後ぐらいに振り返ってみないと分からないものかもしれませんね。



毎日のハードスケジュールで心身とも疲労困憊されているのではと心配になりますが、「淡々と」というお言葉から、最近よく耳にするようになった「マインドフルネス」を連想しました。激しい喜怒哀楽ではない中庸の精神状態を保つことで、お子様の急な病気等の突発的な出来事にいつでも対応可能な心持ちを実現されているのでしょうね。本日は貴重なお時間をありがとうございました。




2017/07/19

男性育児休暇利用者の体験記(H26)

今年の5月初めから6月末までの2か月間、育児休暇を取らせていただきました。 伝え聞いたところによると、私が本機構における育児休暇取得第一号ということですので、育児休暇を取ろうと考えている男性職員とそういった方々を取り巻くみなさまを中心に、わずかですが私の体験をご説明できればと考えています。

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 私が育児休暇を取ろうと思ったのは、私の父の手術予定日と妻の出産予定日が重なってしまった上に妻の父の病状も思わしくなかったため、私の両親や妻の両親からの援助を期待できなくなったことがきっかけでした。 長女(現在2歳)が生まれたときに、妻の両親とともに家事・育児に参加していたこともあって、多少なりとも家事・育児のたいへんさもそれなりにわかっているつもりでした。 そのようなことから、24時間体制で妻に育児をさせるのは心身とも辛いだろうと思い、育児休暇取得について樋口所長と椿副所長にご相談させていただきました。 男性職員の場合、社会的な責任や体裁を気にして育児休暇を取るのをためらうことが多いかと思うのですが、私の場合、ある会社で育児休暇を取った友人(彼もその会社では育児休暇取得第一号だそうです)がおり、彼のアドバイスが私の背中を押してくれました。 樋口所長には「育児休暇を取るなんてだめだろうなぁ」と半ばあきらめた状態で相談させていただいたのですが、予想に反して「どうぞ、どうぞ」といった軽いトーンで返事をされたため、逆に拍子抜けしてしまったというのが実際のところです。  さて、「育児休暇」といった場合、「休暇」という二文字だけが強調され、「さぞかし自由な時間があるだろう」と誤解される方が少なくありません。 何事も同じだと思うのですが、”まじめ”に育児に関われば、これほど忙しいものはありません。 私の場合、育児休暇中は、食事の準備・娘のお風呂・長女の面倒は私が、これら以外の家事と次女の面倒は妻が担当し、本の読み聞かせ・部屋の掃除は2人でやることにしていました(この役割分担は現在も続いています)。 役割分担をしているとはいっても対応できないこともあります。 その場合は手の空いたほうが担当します。 特に、娘の面倒については「役割分担はあって無きが如し」ですので結局は2人でやることになります。 深夜になれば、赤ちゃんはまるで親の愛情を試しているかのように大声で泣きますし、太陽が昇れば長女が大人の都合とは関係なくおんぶや抱っこをせがんできます(研究する時間はもちろんのこと、まともに寝る時間すらありません)。 そんなとき、おなかがすいたのか、おしっこをしたのか、さびしいのか、甘えたいのか、遊びたいのか…妻ともども悩み、心身ともに滅入ってしまうこともありました。 失敗なんて日常茶飯事のことです。 また、研究職という職業柄、研究所内の仕事以外にいくつかの所外の活動(学術活動)も行っているため、主だった学術学会・団体・共同研究者には育児休暇中であることを伝えておいたのですが、それにもかかわらず仕事を振ってくるところがあり、妻ともども困り果ててしまうことがありました。 このときには、研究者が育児休暇を取る場合には、学術学会・団体にも育児休暇の目的を十分に理解していただかなくてはならないと身に染みて感じました。

 このように、育児休暇を取得させていただいてはじめて育児がいかに重労働であるか、そして周囲の方々に理解していただくことがいかに重要であるかを認識させられたわけですが、この重労働を補って余りあるほどの喜びを与えてくれるのも育児だと思います。 育児休暇中は、昨日までできなかったことが今日できた、そして明日はどんなことができるのだろう…とワクワクした日々が続きました。 育児休暇中は、生まれたばかりの次女は日が経つにつれて表情が豊かになっていき、長女の場合にはうまく声に出せなかった言葉が次第に話せるようになっていくのが手に取るようにわかりました。 また、毎日食事を作っている私にとって、長女がおいしそうにご飯を食べて、さらにおかわりまでしてくれた時には最高に幸せな気分になれましたし、散歩に連れて行くたびに大はしゃぎする姿を見るたびに私も嬉しくなりました。 他人から見れば大したことのないことかもしれませんが、それが幸せに思えるのも育児に参加しているからだと思います。

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 「育児ノイローゼ」、「育児放棄」、「放置っ子」といった問題が注目されている現在、育児休暇は、こういった問題を見つめ、子供を含めて家族全体との「距離」を縮めるうえで大変有意義だったと感じています。 育児は本当に大変です。 これを言葉にするのは簡単ですが、育児に参加しなければ実感できません。 主婦(夫)業も”まじめ”にやるとこれほどたいへんなものなのかと思いもしませんでした。 育児休暇から復帰してからは、妻の協力なしに家事・育児と仕事の両立させるのはたいへん難しいものであることも身に染みてわかりました。 一方、育児休暇をとったおかげで、子供が「初めて○○ができた瞬間」を見たときの感動を体感することができましたし、仕事に復帰してからは、帰宅するたびに「おとう!」と言いながら満面の笑顔で私のほうへ走ってくる長女の姿を見たときの気持ちなど、言葉では言い表せない嬉しさや楽しさをたくさん感じるようになりました。 また、赤ちゃんが大人の理解をはるかに超えたところで感情を表現していることを実感できる貴重な時間を与えてくれたのも育児休暇だと思います。 この気持ちをみなさんにわかっていただくには、(育児休暇を取るかどうかとは関係なく)積極的に育児に参加していただくしかないと思うのです。


男女共同参画推進コラム

2014/10/28

第七回 理系女子の作り方

情報・システム研究機構 URAステーション 
情報環境担当チーフ 河瀬 基公子 
             平成26年10月28日 


 私は平成24年度から男女共同参画推進委員をさせて頂いております。それまでは男女共同参画とは、育児と仕事の両立の壁乗り越えて職場に生き残ったママさん管理職が、自らの経験をもとに女性教職員が働きやすい職場環境を整備するものかとイメージしておりました。私は、管理職でもなければ、出産も結婚も介護も経験していません。ライフイベント中の女性の苦労は想像するのみの私がなぜ、男女共同参画推進委員にお声かけ頂いたのか、わかりませんでした。
 
 私は理系女子で、長い間、いわゆる男性社会にいました。小学生の頃は、電子工作やゲームプログラミングの魅力にとりつかれ、イベントに連れて行ってもらうと必ず司会者から「女の子がいました!」と言われ、インタビューを求められました。中学、高校と進むにつれて、学校の先生方からは、女子には不利だから文系に進むように何度も説得されましたが、全く意に介せず、そのまま理工系に進み、大学院に入学の際には研究室の教授から「研究室始まって以来の女性です」と言われました。就職しても女性職員は総数の1割程度の職場で、男性職員と出張に出かけると、遅れを取らないように小走りでついて行き、お昼ご飯も同時に食べ終わるように必至に食べ続けるのが当たり前の日常を過ごしていました。
 
 男女共同参画推進委員となり、独立行政法人国立女性教育会館主催の平成24年度「大学等における男女共同参画推進セミナー」参加させて頂きました。初めて受けた男女共同参画関係のセミナーで、松村泰子東京学芸大学前学長のご講演に衝撃を受けました。理系分野の学力について、男女間での有意性はなく、文系に進むか、理系に進むかは、環境に大きく依存するとのお話しでした。女の子が、ドライバーを持ったり、蛍光灯を変えようとすると、顔に傷がつくといけない、危ないからと取り上げる家庭が多く、男の子の場合は感謝の言葉を投げかけるというような環境が理系女子を少なくしているとのことでした。松村先生は、理系女子の多くは一人っ子で、本心では男の子が生まれてきて欲しかったと思っている父親によって、男の子のように育てられていたことが多いと指摘されました。
 自分の事を振り返ってみると、私が小学生の頃、誕生日プレゼントにお人形ではなく半田ごてをおねだりしたとき、両親は何も言わずに買い与えてくれました。周囲からは変人として扱われ続けた私ですが、理系分野に興味を持つことができたのは恵まれた環境にも理由があったと気がつきました。
 
 松村先生のお話では、小学校での理科の実験、自然教室での体験など、少し工夫することで女の子が理系分野に興味を持つようにすることは可能とのことでした。
 男女共同参画では、ライフイベントの経験に基づき、職場環境を改善することも大切ですが、男女共同参画推進委員となってからは、女性研究者を増やすために機構として実施可能なことを検討することも大切だと考えるようになりました。長期的な視点から、理系女子を増やし、女性研究者を育成する、裾野を広げることにも貢献したいと考えています。