第十一回 女性研究者の現実と模索
情報・システム研究機構 統計数理研究所 准教授 瀧澤由美
平成26年1月19日
男女共同参画委員の方々が問題に真摯に向き合って下さっていることに触れ、大変有り難く感じました。そこでこのコラムで私に求められているは、女性研究者が置かれている現実とその中での模索について知ってもらうことではないかと考えました。研究者で、母親で、父の介護と、やらなければならない仕事はいつも数多くあるので、いくつかの項目について書いてみます。
-情報化に支えられて、でも15分早ければ
現在、情報ネットワークの高度化と普及によって、時間と場所を選ばずに仕事ができるようになりました。研究には理論と実験、応用など多面性がありますが、特に理論系の仕事はインターネットやクラウド等の情報ツールに支えられ、とても仕事がしやすくなりました。これは女性のみならず、男性もワーク・ライフバランスを考えた仕事の仕方をするためには有効です。情報インフラの整備と発展は今後も期待できますから、これらを利用するための支援があると有り難いです。
一方で重要となってくるのは研究者同士の対話です。特に共同研究等の打合せはメールでは誤解を生む事もあるので、やはりface-to-faceでなければ困難です。しかし男性研究者は仕事の後の仕事(つまり家事)がないためか、時間を無意味に引き延ばすのは困りもの。全力で働いた後に、家に飛んで帰って大至急夕飯を作ることの大変さといったら。それでも作れる日はラッキーで15分遅かったばかりに、子どもはコンビニ弁当を買ってきて食べていたということも。これには事前に打合せ内容のメモを印刷物で用意し、効率化による時間短縮を図っています。
-先人の努力を忘れない
学会でイスタンブールに行った際、そこで出会った女性研究者が「トルコでは女性の権利があまり認められていない、女性参政権が認められたのもとても遅い。」というので何年に参政権を得たのか聞くと、1934年だというのです。日本は戦後ですからもっと遅い1945年と言うととても驚いていました。しかし、忘れてはならないのはそれまでになされた多くの努力で、市川房枝氏らによる運動により婦人参政権の法案が1930年に衆議院を通過したのですが、貴族院で廃案となっています[1]。私にとって身近なのは1986年の男女雇用機会均等法です。1984年に入社し2年目のことで、女性でも研究所に配属されることを当たり前のように感じていましたが、先人の努力を忘れないようにしたいと思います。
-次の世代に伝えること
娘を持ってから、母の言っていたことを思い出すことが多くなりました。女の子は何でもできなければなりません。学校では勉強、家ではきれい好き、ピアノ、習字、筆まめで、大きくなったらご飯くらい作れて当たり前です。私の苦手なこれらの能力は私の母の世代では、お嫁さん、ひいては母親になるために必要なことであったと思います。
しかし、今、男女関係なくひとりひとりが自分の衣食住を含めどこにいても生活を営める能力をもつことが求められていると思います。研究者にとって住む場所というのは研究テーマ程、重要な要素ではありません。研究に必要な場所ということで決められることが多いと思います。次世代を担う子ども達には、世界のどこに住んでも健康を保ち、異文化を有する人々の中でも楽しく暮らせる能力を身につけてほしい。そうすればどのような仕事をしていてもきっとよい人生を送れると思います。そして、生活の厄介ごとをいわゆる主婦に押しつけるのではなく、それぞれが得意なことで補い合って豊かな社会を作って欲しい、それを伝えることが母の世代の努力に報いることになると思います。
[1] 市川房枝 私の履歴書ほか,日本図書センター,1999年02月.