男女共同参画推進コラム

第七回 理系女子の作り方

情報・システム研究機構 URAステーション 
情報環境担当チーフ 河瀬 基公子 
             平成26年10月28日 


 私は平成24年度から男女共同参画推進委員をさせて頂いております。それまでは男女共同参画とは、育児と仕事の両立の壁乗り越えて職場に生き残ったママさん管理職が、自らの経験をもとに女性教職員が働きやすい職場環境を整備するものかとイメージしておりました。私は、管理職でもなければ、出産も結婚も介護も経験していません。ライフイベント中の女性の苦労は想像するのみの私がなぜ、男女共同参画推進委員にお声かけ頂いたのか、わかりませんでした。
 
 私は理系女子で、長い間、いわゆる男性社会にいました。小学生の頃は、電子工作やゲームプログラミングの魅力にとりつかれ、イベントに連れて行ってもらうと必ず司会者から「女の子がいました!」と言われ、インタビューを求められました。中学、高校と進むにつれて、学校の先生方からは、女子には不利だから文系に進むように何度も説得されましたが、全く意に介せず、そのまま理工系に進み、大学院に入学の際には研究室の教授から「研究室始まって以来の女性です」と言われました。就職しても女性職員は総数の1割程度の職場で、男性職員と出張に出かけると、遅れを取らないように小走りでついて行き、お昼ご飯も同時に食べ終わるように必至に食べ続けるのが当たり前の日常を過ごしていました。
 
 男女共同参画推進委員となり、独立行政法人国立女性教育会館主催の平成24年度「大学等における男女共同参画推進セミナー」参加させて頂きました。初めて受けた男女共同参画関係のセミナーで、松村泰子東京学芸大学前学長のご講演に衝撃を受けました。理系分野の学力について、男女間での有意性はなく、文系に進むか、理系に進むかは、環境に大きく依存するとのお話しでした。女の子が、ドライバーを持ったり、蛍光灯を変えようとすると、顔に傷がつくといけない、危ないからと取り上げる家庭が多く、男の子の場合は感謝の言葉を投げかけるというような環境が理系女子を少なくしているとのことでした。松村先生は、理系女子の多くは一人っ子で、本心では男の子が生まれてきて欲しかったと思っている父親によって、男の子のように育てられていたことが多いと指摘されました。
 自分の事を振り返ってみると、私が小学生の頃、誕生日プレゼントにお人形ではなく半田ごてをおねだりしたとき、両親は何も言わずに買い与えてくれました。周囲からは変人として扱われ続けた私ですが、理系分野に興味を持つことができたのは恵まれた環境にも理由があったと気がつきました。
 
 松村先生のお話では、小学校での理科の実験、自然教室での体験など、少し工夫することで女の子が理系分野に興味を持つようにすることは可能とのことでした。
 男女共同参画では、ライフイベントの経験に基づき、職場環境を改善することも大切ですが、男女共同参画推進委員となってからは、女性研究者を増やすために機構として実施可能なことを検討することも大切だと考えるようになりました。長期的な視点から、理系女子を増やし、女性研究者を育成する、裾野を広げることにも貢献したいと考えています。

 

第六回 科学的データによる男女共同参画の道しるべ

情報・システム研究機構 国立情報学研究所 根本 香絵 

 201486日から8日と3日間にわたってカナダのWilfrid Laurier大学で5th IUPAP International Conference on Womenin PhysicsICWIP)が開催されました。IUPAPは、物理から応用物理にわたる物理学を中心とした国際機関で、物理学の世界的な発展と、物理分野での協力関係、物理の応用による人類への貢献を支援することをミッションとして運営されています。WIPはそのワーキング・グループのひとつで、今回が5回目の国際大会となりました。

 会場には男女共同参画先進国とも言える北欧をはじめ欧米諸国、日本を含めたアジア、アフリカ諸国など様々な文化的・宗教的背景をもち個別の問題を抱える国々まで、実に世界中から科学者が集い、男女共同参画という問題について議論する機会となりました。もっとも注目されるのは、男女共同参画について、各国で様々な取り組み、政策がとられていることです。女性の積極登用や研究活動の支援、保育との両立のための仕組みなど、国がもつ仕組みや文化的背景にあわせて、様々な取り組みの実績が、次々と報告されていきます。日本からの報告にも大きな関心をもっていただきました。しかし、その中で世界共通に男女共同参画における見えない壁が立ち現れてくる様子も次第に明確になっていきます。今回の会議では、それが共有されたことは大きな成果と言えるでしょう。

 この見えない障壁への鍵となるのは、なんと「無意識のバイアス」。研究や業績の評価で、私達が無意識にもつこの性別に対するバイアスの科学的研究がいくつも報告されました。女性が男性と同じ職を得るには2.5倍の業績が必要であるというショッキングな研究データからも、無意識のバイアスが女性科学者の登用や女性のリーダーシップに大きな壁になっていることは間違いなさそうです。そして評価する側には男女を問わず同程度のバイアスがあることをデータは示していました。私自身もこれまで研究や業績の評価に携わり、常に公平であろうと細心の注意を払ってきましたし、評価に携わる科学者はみな同様の思いであろうと思います。しかし、これらの科学的検証は、その公平性の意識の中に、無意識のバイアスがあることを肝に銘じなければならないことを、私達に突き付けているのです。

 これまで、制度の改革が中心的課題であった共同参画ですが、世界では科学者という立場から、男女共同参画の見えない壁を理解し、自分たちの手で変えていこうという機運が盛り上がっています。そして、これは決して物理学者たちの孤独な戦いではありません。会場には、社会科学者も参加し、科学者が一丸となってこの問題へ取り組む姿勢があるのです。この新しい機運は、我が国の取り組みへも大きな影響を与えるものと期待されます。


参考

 5th IUPAP InternationalConference on Women in Physics August 5-8 2014, WilfridLaurier University, Waterloo, Canada

 http://icwip2014.wlu.ca/

 

 "Science faculty’ssubtle gender biases favor male students"(PNAS, 2012, 109(41),16474-16479), Corinne A. Moss-Racusin, John F. Dovidio, Victoria L. Brescoll,Mark J. Graham, and Jo Handelsman

 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3478626/

 

関連記事

 The Record.com “Conference celebrates female physicists, but there’s roomfor more”(Aug 07, 2014), Anam Latif

 http://www.therecord.com/news-story/4737239-conference-celebrates-female-physicists-but-there-s-room-for-more/

 

第五回 男女共同参画の声を聞く

情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所 仁木 宏典 

 遺伝子が集まってできている染色体の末端部分を、テロメアをいう。染色体が複製される度にテロメアの部分は短くなり、最後には細胞は分裂できなくなる。このことから、テロメアは細胞の分裂回数を決める細胞寿命の時計であるとも言われている。このテロメアの研究では、女性研究者が主宰する研究室に国際的に有力なものが多い。テロメアの研究を始めた研究者が女性(Elizabeth Helen Blackburn、2009年のノーベル生理学?医学賞)だったからだと説明されたが、その真偽は知らない。ただテロメアも含む染色体関連の国際会議に出席しても、1/3以上は女性であり、この分野は女性の進出が著しいと実感する。振り返って、我が国である。昨年の分子生物学会にイスラエルから女性の研究者を講演者として招待した。彼女はDNA関係の研究をしているため、関連の講演をいろいろ熱心に掛け持ちして聴きに回っていた。そして日本国内の分子生物学の研究の高さを褒めてくれていたが、なぜ女性は少ないのか?と率直に尋ねてきた。院生やポスドクには女性も結構多くなり、会場でも少なからず女性が参加していた。だが、講演者となると極端に女性の数は少なくなる。日本分子生物学年会は昨年で34回を迎え、もう若い学会とは言えない。それでも創立時の既存の権威や価値感にはあまり捕われない自由な気風があふれた学会である。にもかかわらず、女性の進出を妨げるものがこの分野にもまだまだ存在するのだろうか。

 女性研究者がキャリアを形成する過程で、研究だけに集中できないという理由は確かにありそうだ。家庭や子育てはまだまだ女性の働きが中心でないと機能していかない。研究の成果をあげなくてはならないときには、これは女性研究者にとっても決して軽いものではない。イクメンなどが広まれば少なからず、その軽減はできるであろう。しかし、子を生むことは男性には決して代わることができす、根本的な解決にはならない。代理出産を選んだという米国の女性研究者の話からも、この問題がいかに切実か理解できる。

 これまでは、男性より劣っているからという偏見で女性の進出が遅れてきた。この点に関しては、ずいぶんと改善されてきたように思う。では男女を平等に見ましょうという立場で、生物学的な役割には差があるにも関わらず、女性を男性と全く同等に評価する事は、真の男女の公平な見方にはならないように思う。
性差を認めながらも性差を超えた公平な見方や制度というのもまだまだ難しい課題である。男女共同参画という精神は整って来つつあるが、その実用的な制度まではまだまだみんなの納得を得るところまでは至っていないことは実感している。 男女共同参画推進委員会は、とにかく、そのような不十分な制度を少しでも良くして行くために結成されたものである。劇的に改善する力はまだないが、いろいろな要望を聞く耳だけは持っている。その耳が新しくできた相談員の制度だ。どうせ言っても無駄だろうと思わずに、ぜひ、委員会に声を届けてください。
 

第四回「羽ばたけ 日本の女性研究者」の公開に寄せて

情報・システム研究機構 国立情報学研究所 新井 紀子 

 2010年7月、日米女性研究者のシンポジウム(Japan-US Symposium 2010 -Connections-) が開催されました。テーマは「女性研究者のエンパワーメントと新領域創成に向けた日米シンポジウム」。単に懇親を深めるだけでなく、具体的な共同研究につなげたい、とアメリカ側は多くの若手女性研究者を引き連れて国立女性教育会館に到着していました。

 最初の晩の懇親会で、私は少なからぬ米国側女性研究者から「共同研究相手となる女性研究者をどうやって探せばよいのか?」と質問されました。「このパーティには自分の分野の研究者がいないのだが、どうすれば女性共同研究者を探すことができるのか?」そう尋ねられ、うまく返事ができない自分がそこにいました。

 確かにそうなのです。日本政府は、これまで男女平等参画社会を支援するために、女性研究者支援モデル育成事業など様々な施策を打ち出しては来ました。いくつかの大学には女性研究者を支援する拠点が形成され、男女平等参画を広報するためのウェブサイトがいくつも作られました。けれども、いざ女性研究者を探そうとしても、検索する手段がほとんど何もないのです。特に、英語での情報が限られていることに気づきました。

 シンポジウム2日目、私は情報学者としてある提案をしました。それは、日本の女性研究者のデータベースを作成してウェブ上で日本語・英語の両方で公開し、関心をもつ領域にいる女性研究者をすぐに検索できる「女性研究者総覧」を構築しよう、ということだったのです。けれども、具体的なメリットが見えない企画のために、多忙な女性研究者に特別の協力をお願いするのには無理があるでしょう。そこで考えたのが、大学共同利用機関として、情報・システム研究機構が運用していた研究者データベースResearchmapに性別欄を設け、Researchmapのデータから女性研究者の情報だけを抽出して「女性研究者総覧」を自動生成するというアイデアです。これならば、普段から研究業績管理のために利用しているResearchmapから自動的にデータが抜き出されるだけですから、女性研究者には余計な負担がかかりません。おまけに、データの整備費用や事務経費をかけずに女性研究者総覧を構築することができます。

 その思い付きからほぼ1年。このたび、女性研究者総覧「羽ばたけ 日本の女性研究者」を公開することができました。現在は母体となるResearchmapの登録研究者数が限られているためまだ170名ほどのデータベースにすぎませんが、2011年11月にJSTが運営している研究者データベースReaDとResearchmapが統合されることで、登録研究者数は一気に20万人を超えることが確実となっています。そのとき、「羽ばたけ 日本の女性研究者」サイトが、まさに羽ばたき、日本の男女平等参画推進の一助になればと願っています。
 

第三回 豊かな未来に向けて

情報・システム研究機構 事務局長 呉 茂 

 世界大戦後の思想界において一世を風靡した実存主義の余燼が未だ燻っていた私の学生時代、サルトルなどを読み漁っていた延長で、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉に行き当たり、まさに驚天動地の衝撃を受けました。

 私は幼い頃から家庭も学校も周囲は男ばかりで、青春時代は、女性とは別の言葉をしゃべる全く違った生き物ではないかと嘆くくらい、男女間のコミュニケーションに難儀していました。しかし、その後はなんの疑問を抱くこともなく、就職し更に結婚して子どもを儲け、規範づくめのさまざまな人生のステージを遮二無二歩んでいるうちに、「な~んだ、自分も男としてつくられてきたのではないか、なんて不自由なのだ、その意味では男性も同じだ」と実感するようになりました。

 殊に海外との交流の仕事に携わるようになって、もしもそのように同じであると思うならば、やはり"gender equality"でなければ、人間としてフェアじゃないと考えるようになりました。果たしてこの社会では、女性は男性と対等の仲間であり、あらゆる活動領域で活躍する機会が得られ、さまざまな利益を共有できているのかな?そう自問してみると、社会人として管理職として、やらなければならないことが見えてくるような気がします。

 因みにボーヴォワールはセックスとジェンダーとの相違、また後者が社会や文化の中で獲得されるアイデンティの一つであることを明らかにしようとしていたといわれています。今日的にジェンダーを考えるときに、いろいろな解釈がなされているようですが、生物学的な性差だけでなく、社会的文化的な性のありようの違いに目を向けることは、理解や問題の取り組みにおいて重要な手がかりになるものと思います。ただしその「ありよう」も科学・技術や情報手段の急速な発達により、驚くほど変容しつつあり、物理的にも意識の上においても、男女の距離はどんどん縮まってきているように感じられます。

 もっとも社会的なコンセンサスが必要な改革・改善への道のりは平坦ではありません。科研費を増額したからといって直ぐに優れた論文が陸続と産出することにならないように、サイエンスの領域、特に人材の養成に関しては、単純な国際比較、無理な数合わせ、性急な評価は逆効果で、政策的に配慮を行うこと自体は否定しませんが、あまり実効を挙げているようには見受けられません。机上で大計画を作成するよりは、働きやすい環境づくりに向けて、実態を調査・分析し、こまめに資源のアロケーションやシステムを変えて、できるところから今すぐに積極的かつ持続的に取り組んでゆくことが肝要かと考えます。

 日本政府の財政は破綻寸前で、教育研究機関への支援も先細りの状況です。こうした窮乏下においては、機構も研究所も、一人でも優秀な人材が欲しい、採用したならばしたで能力のアップを図り一騎当千となって欲しい、経験豊富なベテランにはいつまでも留まって欲しい、と願うのは当然のことで、そこには男性、女性の区別は無用です。それを実現するためには、先例に捉われず、費用や機会を惜しまず、できるだけオープンに進める必要があります。

 長い人生においては、男女の差よりはむしろ人それぞれの違いの方が大きく、そこにこそ人間の魅力があります。人権を尊重し、それぞれの能力を正当に評価し、個性の豊かさを真摯に追い求めることは、自ずと男女の差別をなくしてゆくことにつながってゆくものと信じています。