男女共同参画推進コラム

第十二回 家庭内ワークシェアリングのすすめ

情報・システム研究機構 統計数理研究所 准教授 黒木 学

            平成26年3月5日

 日本では「家事と子育てはお母さんの仕事」という固定概念を持つ男性が多いせいか、家事と育児をお母さん任せにしているお父さんが多いのではないでしょうか?家庭の方針は個々の家庭で決めることなので、(社会事件にでもならない限り)どういった方針が正しいのか・間違っているのかを第三者が判断することは、いわゆる「大きなお世話」かもしれません。そうとはいっても、核家族化が進む一方で、女性にも社会貢献が求められるようになった現在、家事も育児もお母さんの仕事と決めつけてしまうと、女性に肉体的にも、精神的にも大きな負担をかけてしまうことは、みなさんにもおおむね同意していただけるのではないでしょうか。こういった女性の負担を軽減するためには、男性の積極的な家事・育児参加、すなわち家庭内にワークシェアリングを取り入れることではないかと考えています。

 家庭内ワークシェアリングにも、完全に分業体制にするケースや、ルールを設けないで気がついたほうが率先して家事・育児を行うケースなど、いろいろなスタイルがあり、それぞれ長所も短所もあります。我が家では、この二つを組み合わせたような家庭内ワークシェアリングを実践しています。その感想・経験として、家事も育児も「完全にお母さん任せ」にしている男性と比較して、仕事の進み具合が若干遅いなぁ、と感じることがときとしてあります。その一方で、無意識ながら日常生活で時間の使い方を工夫するようになるため、結局のところ、大きな有意差はないように思います。また、普段から家事や育児に接しているため、お母さんに予期せぬ事態が起こってもあたふたすることなく、家事・育児はもちろんのこと、仕事にもおおむねうまく対応できることは大きなメリットではないかと思います。そして、なんといっても、家庭内ワークシェアリングをとおして子供の笑顔に触れる機会が増えることは、味気ない日常生活に、豊かさ、安らぎ、そしてうるおいと与えてくれます。このことは、「完全にお母さん任せ」にしている男性には、なかなか経験することのできない感覚ではないかと思います。

 家庭内ワークシェアリングがうまくいく前提として、「男性と女性がともに協力して社会貢献を行う時代がきている」ことを社会全体が理解していること、そしてお父さん・お母さんがともに「お互いを思いやりながら家事・育児に積極的に参加する」という意識を持つことがあるかと思います。現在のところ,男女共同参画という考え方がまだ浸透しておらず、社会からの理解も十分とはいえないように思います。そんな状況ですが、我が家では今のところ家庭内ワークシェアリングをそれなりにうまく実践できていることを考えてみると、みなさんもとりあえず試してみるのは「あり」なのではないか、と思う今日この頃でした。
 

第十一回 女性研究者の現実と模索

情報・システム研究機構 統計数理研究所 准教授 瀧澤由美

            平成26年1月19日
 
 男女共同参画委員の方々が問題に真摯に向き合って下さっていることに触れ、大変有り難く感じました。そこでこのコラムで私に求められているは、女性研究者が置かれている現実とその中での模索について知ってもらうことではないかと考えました。研究者で、母親で、父の介護と、やらなければならない仕事はいつも数多くあるので、いくつかの項目について書いてみます。

-情報化に支えられて、でも15分早ければ 
 現在、情報ネットワークの高度化と普及によって、時間と場所を選ばずに仕事ができるようになりました。研究には理論と実験、応用など多面性がありますが、特に理論系の仕事はインターネットやクラウド等の情報ツールに支えられ、とても仕事がしやすくなりました。これは女性のみならず、男性もワーク・ライフバランスを考えた仕事の仕方をするためには有効です。情報インフラの整備と発展は今後も期待できますから、これらを利用するための支援があると有り難いです。 
 一方で重要となってくるのは研究者同士の対話です。特に共同研究等の打合せはメールでは誤解を生む事もあるので、やはりface-to-faceでなければ困難です。しかし男性研究者は仕事の後の仕事(つまり家事)がないためか、時間を無意味に引き延ばすのは困りもの。全力で働いた後に、家に飛んで帰って大至急夕飯を作ることの大変さといったら。それでも作れる日はラッキーで15分遅かったばかりに、子どもはコンビニ弁当を買ってきて食べていたということも。これには事前に打合せ内容のメモを印刷物で用意し、効率化による時間短縮を図っています。

-先人の努力を忘れない
 学会でイスタンブールに行った際、そこで出会った女性研究者が「トルコでは女性の権利があまり認められていない、女性参政権が認められたのもとても遅い。」というので何年に参政権を得たのか聞くと、1934年だというのです。日本は戦後ですからもっと遅い1945年と言うととても驚いていました。しかし、忘れてはならないのはそれまでになされた多くの努力で、市川房枝氏らによる運動により婦人参政権の法案が1930年に衆議院を通過したのですが、貴族院で廃案となっています[1]。私にとって身近なのは1986年の男女雇用機会均等法です。1984年に入社し2年目のことで、女性でも研究所に配属されることを当たり前のように感じていましたが、先人の努力を忘れないようにしたいと思います。

-次の世代に伝えること
 娘を持ってから、母の言っていたことを思い出すことが多くなりました。女の子は何でもできなければなりません。学校では勉強、家ではきれい好き、ピアノ、習字、筆まめで、大きくなったらご飯くらい作れて当たり前です。私の苦手なこれらの能力は私の母の世代では、お嫁さん、ひいては母親になるために必要なことであったと思います。 
 しかし、今、男女関係なくひとりひとりが自分の衣食住を含めどこにいても生活を営める能力をもつことが求められていると思います。研究者にとって住む場所というのは研究テーマ程、重要な要素ではありません。研究に必要な場所ということで決められることが多いと思います。次世代を担う子ども達には、世界のどこに住んでも健康を保ち、異文化を有する人々の中でも楽しく暮らせる能力を身につけてほしい。そうすればどのような仕事をしていてもきっとよい人生を送れると思います。そして、生活の厄介ごとをいわゆる主婦に押しつけるのではなく、それぞれが得意なことで補い合って豊かな社会を作って欲しい、それを伝えることが母の世代の努力に報いることになると思います。

[1] 市川房枝 私の履歴書ほか,日本図書センター,1999年02月.
 

第十回 小さなことからコツコツと

情報・システム研究機構 事務局 総務課総務係長 水谷 彰

            平成26年12月19日

最近、「イクメン」という言葉が、新聞等でちらりほらり出て来ています。男性の育児への参加の推進、配偶者との家事分担や女性の気持ちになって考えてみる勉強会など、様々な取り組みが行われているようです。

少し前のことですが、「妊婦さん」の気持ちになるということで、コルセットのようなベルトをつけて家事等を行うとどうなるか?ということを体験する機会があり、やってみるとこれがなかなか、「しんどい!」通常の動きもさることながら、思うように動くこともしづらい。このような状況で、家事、仕事などをこなすということは、なんと凄いのだろうと感心し、偉大なことだとしみじみ思いました。

申し遅れましたが、私は、平成26年度から男女共同参画推進委員会のオブザーバーをさせて頂いております。オブザーバーの立場でございますので、委員の皆様とは、ちょっと違う点もあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。

大学職員として勤務しておりました時に、少しだけ学内保育園の手続関係の事務を担当しておりました。その際に感じましたことは、「ユーザーのニーズ等を把握しながら的確に分析し、最適な支援を行う。」ということが大変重要なのだと気づかされました。もちろん、様々な条件などで、すべてが整うということではありませんが、「基本姿勢」として考える上では大事ではないかと考えます。併せて、女性研究者は、結婚や出産、育児などのライフイベント、そして研究、家事等で、目まぐるしい日々を送っているので、様々な場面での「支援」や「相談体制」の機会がたくさん出来るという事が、結果として女性研究者の研究を支援する大きな成果に繋がるのではないかと思います。また、男性の方々に対しても、「相互理解」、「相談」、「相互協力」といった部分で、長期的な視点で、更に一歩進んだ形で対応できる環境づくりを共に進めていく必要があると思います。

今年度、情報・システム研究機構では、女性研究者研究活動支援事業が採択され、新しい支援体制を構築し、新たな一歩が始まります。その歩みは、どのようなものになるのでしょうか?より充実した研究者支援に向かって、微力ではございますが共に歩んでまいりたいと考えております。
 

第九回 Women’s Forum Global Meetingに参加して

情報・システム研究機構 国立情報学研究所 新井 紀子

            平成26年12月8日

 ここ数年、国際的な女性フォーラムが盛んに開催されている。その中でも、アメリカを中心に開催されるInternational Women’s Forumとヨーロッパを中心に開催されるWomen’s Forumは二大国際女性フォーラムとして多くの参加者を集めている。この度、Women’s Forumが初開催の地フランス ドーヴィルで十周年のグローバルミーティングを開催するにあたり招待講演者としてお招き頂いた。2011年から国立情報学研究所を中心に進めている「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトが、ウォールストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズ等で紹介されたことが事務局の目に留まったらしい。女性ばかりの、しかも研究集会ではないフォーラムは初めてのことであるし、過去の招待講演者を眺めると錚々たる顔ぶれが並んでいるので恐れをなしたが、貴重な機会と思いお受けすることにした。何でもWomen’s Forumが日本の女性研究者を招待するのは今回が初めてだということで、事前にわざわざインタビュアーを派遣して下さった。プロジェクトの概要以外にも、日本という社会における女性の地位がOECD諸国の中で最低レベルにある国で、しかも、AIという男性優位の研究環境の中でプロジェクトを率いるのはどのような気持ちか、など多岐にわたる質問を受けた。様々な研究会でも政府の委員会でも、男性の中に自分一人が女性という環境に慣れっこになっていたが、そのことが異常な事態であることを再認識せざるを得なかった。

 Women’s Forumの特徴は、講演はプレゼンテーション形式ではなくインタビューまたはディスカッション形式で行われるということ、また参加者間のネットワークビルディングにその多くの時間が使われるということにあった。風光明媚なドーヴィルの高級ホテルを三つも借り切って行われるという規模に度肝を抜かれていると、「誰と知り合うべきかターゲットを絞らないとあっという間に最終日になってしまうわよ」と隣の席のイギリス人から忠告を受けた。ちなみに彼女は、現在もまだアフリカを中心に28か国以上で行われているFGM(女性器切除)をやめさせる活動をしているNPOの代表だという。「FGMをやめさせるのはとても困難なの。彼らはなぜFGMを続けるかについての理由をいくつでも考える。宗教や文化の多様性だとか、女性が進んで受け入れているだとか。欧米に赴任してくる教育を受けた外交官でさえ娘にFGMを受けさせることがある」。世界には日本では想像もつかないような多様なニーズとコンフリクトがあり、NPOやNGO、さらに企業家たちが縦横無尽に行き来しながら問題解決を図っている。それは世界経済に不可欠な一部なのである。彼女たちにとってこのような女性フォーラムに出席し、人々に活動の必要を訴え、支援者やスポンサーを獲得することは社交などではなく正に仕事の中心的課題なのである。特別講演者のIMF専務理事のラガルド女史をはじめとして、全員が快活によく喋り、美しく着飾り、そして何より聡明で正義感が強い。世界最大級の広告代理店パブリシスのCEOであるレヴィ氏が、インタビュアーであるワシントン・ポストのウェイマス女史にピンクの椅子を譲ると、会場から大きなブーイングが起こる一幕もあった。

 「ロボットは大学入試を突破できるか」と題した私の講演は、そういう中で異色ではあったが、GoogleやPayPalといったIT企業やジャーナリストに関心を持って頂けたようであった。フランスのあるジャーナリストからはAIやロボットが及ぼす社会的影響についての記事をぜひ書きたいと追加取材の依頼も受けた。

 講演の最後に私は一枚の図を聴衆に提示した。それは、人工知能学会が発行する2014年1月1日号の学会誌「人工知能」の表紙の画像である。背中にケーブルをつけた女性型アンドロイドが箒を手に掃除をしているイラストで、これにより人工知能学会は女性蔑視との非難を浴び公式に謝罪に追い込まれた。一方、これが宣伝効果となったのか今年人工知能学会は会員数と読者数を大きく伸ばしたという曰くつきの一枚だ。「私は『そのような国』で、このAIプロジェクトを率いている」というと会場からため息と拍手が起こった。私は特に自らの見解を述べる必要を感じなかった。なぜなら、学会誌がそのような図を表紙に採用することは完全に「アウト」であることの合意がそこに存在したためである。

 グローバルスタンダードでは「アウト」であるにも関わらず、それを採用する様々な理由を、社会的に優位を手にした側が主張する——そういう意味では私たちの社会は未だFGMの在る社会とそう変わりないのである。
 

第八回 日本における男女共同参画社会の模索

情報・システム研究機構 URAステーション 
情報環境担当チーフ 河瀬 基公子 
            平成26年11月25日 

 2013年11月13日から3日間の日程で、アメリカのワシントンDCにおいて2013 Gender Summit 3 –North Americaが開催されました。Gender Summitは男女平等を促進し、効果的研究とイノベーションを促進するにあたって障壁となっている男女共同参画にかかる諸問題の理解を深めるための国際的会議で、3回目の本会議は300名を超える大学や研究機関等の関係者が世界各国から参加しました。
 
 最も印象に残ったのは、無意識の偏見に関するものです。マガーク効果(McGurk effect)を取り上げ、見たこと、聞いたことだけでなく、脳内で全く別のものを作り上げ、それによって判断されることがあると説明されていました。マガーク効果とは、例えば、人が「ガーガー」と言っている映像と「バーバー」と言っている音を同時に視聴すると「ダーダー」と聞こえるというように、全く別の音として認識する現象です。 
 本会議では、人間の思い込みがどのような影響を与えるのか、無意識に人間の脳で作られているイメージについて、社会学的実験に基づいた対応の検討がなされました。例えば、人事採用検討の際に、履歴書の名前を隠して採否を検討した場合と、名前を記載して(男女を明確にして)採否を検討した場合、名前を記載して採用を検討した場合の方が、女性の採用率が低くなることが示されました。また、同じ履歴書内容であっても名前の欄に男性の名前を記載した場合と女性の名前を記載した場合では男性の名前を記載した方が採用率は高くなることも示されていました。このような無意識の偏見に関する問題を乗り越えるためには、まず無意識の偏見があるということを認識することが重要であり、例えば、採用担当者への研修などが効果的であるとのことです。
 また、リーダーシップの多様性に関するセッションでは、アメリカ及びヨーロッパでは博士号の50%が女性に与えられているにも関わらず女性管理職の数は少なく、主導権は依然として男性にあることを指摘され、女性のリーダーを増やすためには個々人ではなく、社会全体の意識改革が必要であるとの意見もありました。
 
 男女の身体的違いについては、インフルエンザの発病等において男女差に有意性があるという発表がありました。その中で、実験動物についてもふれられ、雌のマウスを使うことがあまりないので、今後は実験動物の雌雄についても気を配る必要があると主張をされていました。
 その後2014年5月にアメリカの公的資金提供機関でもあるアメリカ国立衛生研究所(National Institutes of Health)が、近々、外部資金申請者には使用した実験動物や細胞の性別のバランスを求めると発表しました。少なくとも雌雄どちらの実験動物を使用したのか記載が必要になるとのことです。研究者は繁殖の関係で雌の動物を実験に使用しない傾向にあり、雌の動物について理解が不足している恐れがあるとのことです。(Science vol344 16 May 2014)Gender Summitでの発表後、これほど早く制度化の検討がなされる、アメリカのスピードに驚きました。今後、アメリカにおけるルールが日本における研究に大きな影響を与えることも予想されます。

 現在、欧米諸国と比較し、男女共同参画が進んでいるとは言えない日本において、海外の取組を把握すると共に、日本においてどのような対応が効果的であるか検討し、実施することが必要だと考えます。

<参考>
Gender Summit
http://www.gender-summit.eu/

"Needed: More Females in Animal and Cell Studies" (Science vol344 16 May 2014) Jennifer Couzin-Frankel
http://www.sciencemag.org/content/344/6185/679.summary

“Policy: NIH to balance sex in cell and animal studies” (Nature 14 May 2014) Janine A. Clayton& Francis S. Collins
http://www.nature.com/news/policy-nih-to-balance-sex-in-cell-and-animal-studies-1.15195
 

第七回 理系女子の作り方

情報・システム研究機構 URAステーション 
情報環境担当チーフ 河瀬 基公子 
             平成26年10月28日 


 私は平成24年度から男女共同参画推進委員をさせて頂いております。それまでは男女共同参画とは、育児と仕事の両立の壁乗り越えて職場に生き残ったママさん管理職が、自らの経験をもとに女性教職員が働きやすい職場環境を整備するものかとイメージしておりました。私は、管理職でもなければ、出産も結婚も介護も経験していません。ライフイベント中の女性の苦労は想像するのみの私がなぜ、男女共同参画推進委員にお声かけ頂いたのか、わかりませんでした。
 
 私は理系女子で、長い間、いわゆる男性社会にいました。小学生の頃は、電子工作やゲームプログラミングの魅力にとりつかれ、イベントに連れて行ってもらうと必ず司会者から「女の子がいました!」と言われ、インタビューを求められました。中学、高校と進むにつれて、学校の先生方からは、女子には不利だから文系に進むように何度も説得されましたが、全く意に介せず、そのまま理工系に進み、大学院に入学の際には研究室の教授から「研究室始まって以来の女性です」と言われました。就職しても女性職員は総数の1割程度の職場で、男性職員と出張に出かけると、遅れを取らないように小走りでついて行き、お昼ご飯も同時に食べ終わるように必至に食べ続けるのが当たり前の日常を過ごしていました。
 
 男女共同参画推進委員となり、独立行政法人国立女性教育会館主催の平成24年度「大学等における男女共同参画推進セミナー」参加させて頂きました。初めて受けた男女共同参画関係のセミナーで、松村泰子東京学芸大学前学長のご講演に衝撃を受けました。理系分野の学力について、男女間での有意性はなく、文系に進むか、理系に進むかは、環境に大きく依存するとのお話しでした。女の子が、ドライバーを持ったり、蛍光灯を変えようとすると、顔に傷がつくといけない、危ないからと取り上げる家庭が多く、男の子の場合は感謝の言葉を投げかけるというような環境が理系女子を少なくしているとのことでした。松村先生は、理系女子の多くは一人っ子で、本心では男の子が生まれてきて欲しかったと思っている父親によって、男の子のように育てられていたことが多いと指摘されました。
 自分の事を振り返ってみると、私が小学生の頃、誕生日プレゼントにお人形ではなく半田ごてをおねだりしたとき、両親は何も言わずに買い与えてくれました。周囲からは変人として扱われ続けた私ですが、理系分野に興味を持つことができたのは恵まれた環境にも理由があったと気がつきました。
 
 松村先生のお話では、小学校での理科の実験、自然教室での体験など、少し工夫することで女の子が理系分野に興味を持つようにすることは可能とのことでした。
 男女共同参画では、ライフイベントの経験に基づき、職場環境を改善することも大切ですが、男女共同参画推進委員となってからは、女性研究者を増やすために機構として実施可能なことを検討することも大切だと考えるようになりました。長期的な視点から、理系女子を増やし、女性研究者を育成する、裾野を広げることにも貢献したいと考えています。

 

第六回 科学的データによる男女共同参画の道しるべ

情報・システム研究機構 国立情報学研究所 根本 香絵 

 201486日から8日と3日間にわたってカナダのWilfrid Laurier大学で5th IUPAP International Conference on Womenin PhysicsICWIP)が開催されました。IUPAPは、物理から応用物理にわたる物理学を中心とした国際機関で、物理学の世界的な発展と、物理分野での協力関係、物理の応用による人類への貢献を支援することをミッションとして運営されています。WIPはそのワーキング・グループのひとつで、今回が5回目の国際大会となりました。

 会場には男女共同参画先進国とも言える北欧をはじめ欧米諸国、日本を含めたアジア、アフリカ諸国など様々な文化的・宗教的背景をもち個別の問題を抱える国々まで、実に世界中から科学者が集い、男女共同参画という問題について議論する機会となりました。もっとも注目されるのは、男女共同参画について、各国で様々な取り組み、政策がとられていることです。女性の積極登用や研究活動の支援、保育との両立のための仕組みなど、国がもつ仕組みや文化的背景にあわせて、様々な取り組みの実績が、次々と報告されていきます。日本からの報告にも大きな関心をもっていただきました。しかし、その中で世界共通に男女共同参画における見えない壁が立ち現れてくる様子も次第に明確になっていきます。今回の会議では、それが共有されたことは大きな成果と言えるでしょう。

 この見えない障壁への鍵となるのは、なんと「無意識のバイアス」。研究や業績の評価で、私達が無意識にもつこの性別に対するバイアスの科学的研究がいくつも報告されました。女性が男性と同じ職を得るには2.5倍の業績が必要であるというショッキングな研究データからも、無意識のバイアスが女性科学者の登用や女性のリーダーシップに大きな壁になっていることは間違いなさそうです。そして評価する側には男女を問わず同程度のバイアスがあることをデータは示していました。私自身もこれまで研究や業績の評価に携わり、常に公平であろうと細心の注意を払ってきましたし、評価に携わる科学者はみな同様の思いであろうと思います。しかし、これらの科学的検証は、その公平性の意識の中に、無意識のバイアスがあることを肝に銘じなければならないことを、私達に突き付けているのです。

 これまで、制度の改革が中心的課題であった共同参画ですが、世界では科学者という立場から、男女共同参画の見えない壁を理解し、自分たちの手で変えていこうという機運が盛り上がっています。そして、これは決して物理学者たちの孤独な戦いではありません。会場には、社会科学者も参加し、科学者が一丸となってこの問題へ取り組む姿勢があるのです。この新しい機運は、我が国の取り組みへも大きな影響を与えるものと期待されます。


参考

 5th IUPAP InternationalConference on Women in Physics August 5-8 2014, WilfridLaurier University, Waterloo, Canada

 http://icwip2014.wlu.ca/

 

 "Science faculty’ssubtle gender biases favor male students"(PNAS, 2012, 109(41),16474-16479), Corinne A. Moss-Racusin, John F. Dovidio, Victoria L. Brescoll,Mark J. Graham, and Jo Handelsman

 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3478626/

 

関連記事

 The Record.com “Conference celebrates female physicists, but there’s roomfor more”(Aug 07, 2014), Anam Latif

 http://www.therecord.com/news-story/4737239-conference-celebrates-female-physicists-but-there-s-room-for-more/

 

第五回 男女共同参画の声を聞く

情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所 仁木 宏典 

 遺伝子が集まってできている染色体の末端部分を、テロメアをいう。染色体が複製される度にテロメアの部分は短くなり、最後には細胞は分裂できなくなる。このことから、テロメアは細胞の分裂回数を決める細胞寿命の時計であるとも言われている。このテロメアの研究では、女性研究者が主宰する研究室に国際的に有力なものが多い。テロメアの研究を始めた研究者が女性(Elizabeth Helen Blackburn、2009年のノーベル生理学?医学賞)だったからだと説明されたが、その真偽は知らない。ただテロメアも含む染色体関連の国際会議に出席しても、1/3以上は女性であり、この分野は女性の進出が著しいと実感する。振り返って、我が国である。昨年の分子生物学会にイスラエルから女性の研究者を講演者として招待した。彼女はDNA関係の研究をしているため、関連の講演をいろいろ熱心に掛け持ちして聴きに回っていた。そして日本国内の分子生物学の研究の高さを褒めてくれていたが、なぜ女性は少ないのか?と率直に尋ねてきた。院生やポスドクには女性も結構多くなり、会場でも少なからず女性が参加していた。だが、講演者となると極端に女性の数は少なくなる。日本分子生物学年会は昨年で34回を迎え、もう若い学会とは言えない。それでも創立時の既存の権威や価値感にはあまり捕われない自由な気風があふれた学会である。にもかかわらず、女性の進出を妨げるものがこの分野にもまだまだ存在するのだろうか。

 女性研究者がキャリアを形成する過程で、研究だけに集中できないという理由は確かにありそうだ。家庭や子育てはまだまだ女性の働きが中心でないと機能していかない。研究の成果をあげなくてはならないときには、これは女性研究者にとっても決して軽いものではない。イクメンなどが広まれば少なからず、その軽減はできるであろう。しかし、子を生むことは男性には決して代わることができす、根本的な解決にはならない。代理出産を選んだという米国の女性研究者の話からも、この問題がいかに切実か理解できる。

 これまでは、男性より劣っているからという偏見で女性の進出が遅れてきた。この点に関しては、ずいぶんと改善されてきたように思う。では男女を平等に見ましょうという立場で、生物学的な役割には差があるにも関わらず、女性を男性と全く同等に評価する事は、真の男女の公平な見方にはならないように思う。
性差を認めながらも性差を超えた公平な見方や制度というのもまだまだ難しい課題である。男女共同参画という精神は整って来つつあるが、その実用的な制度まではまだまだみんなの納得を得るところまでは至っていないことは実感している。 男女共同参画推進委員会は、とにかく、そのような不十分な制度を少しでも良くして行くために結成されたものである。劇的に改善する力はまだないが、いろいろな要望を聞く耳だけは持っている。その耳が新しくできた相談員の制度だ。どうせ言っても無駄だろうと思わずに、ぜひ、委員会に声を届けてください。
 

第四回「羽ばたけ 日本の女性研究者」の公開に寄せて

情報・システム研究機構 国立情報学研究所 新井 紀子 

 2010年7月、日米女性研究者のシンポジウム(Japan-US Symposium 2010 -Connections-) が開催されました。テーマは「女性研究者のエンパワーメントと新領域創成に向けた日米シンポジウム」。単に懇親を深めるだけでなく、具体的な共同研究につなげたい、とアメリカ側は多くの若手女性研究者を引き連れて国立女性教育会館に到着していました。

 最初の晩の懇親会で、私は少なからぬ米国側女性研究者から「共同研究相手となる女性研究者をどうやって探せばよいのか?」と質問されました。「このパーティには自分の分野の研究者がいないのだが、どうすれば女性共同研究者を探すことができるのか?」そう尋ねられ、うまく返事ができない自分がそこにいました。

 確かにそうなのです。日本政府は、これまで男女平等参画社会を支援するために、女性研究者支援モデル育成事業など様々な施策を打ち出しては来ました。いくつかの大学には女性研究者を支援する拠点が形成され、男女平等参画を広報するためのウェブサイトがいくつも作られました。けれども、いざ女性研究者を探そうとしても、検索する手段がほとんど何もないのです。特に、英語での情報が限られていることに気づきました。

 シンポジウム2日目、私は情報学者としてある提案をしました。それは、日本の女性研究者のデータベースを作成してウェブ上で日本語・英語の両方で公開し、関心をもつ領域にいる女性研究者をすぐに検索できる「女性研究者総覧」を構築しよう、ということだったのです。けれども、具体的なメリットが見えない企画のために、多忙な女性研究者に特別の協力をお願いするのには無理があるでしょう。そこで考えたのが、大学共同利用機関として、情報・システム研究機構が運用していた研究者データベースResearchmapに性別欄を設け、Researchmapのデータから女性研究者の情報だけを抽出して「女性研究者総覧」を自動生成するというアイデアです。これならば、普段から研究業績管理のために利用しているResearchmapから自動的にデータが抜き出されるだけですから、女性研究者には余計な負担がかかりません。おまけに、データの整備費用や事務経費をかけずに女性研究者総覧を構築することができます。

 その思い付きからほぼ1年。このたび、女性研究者総覧「羽ばたけ 日本の女性研究者」を公開することができました。現在は母体となるResearchmapの登録研究者数が限られているためまだ170名ほどのデータベースにすぎませんが、2011年11月にJSTが運営している研究者データベースReaDとResearchmapが統合されることで、登録研究者数は一気に20万人を超えることが確実となっています。そのとき、「羽ばたけ 日本の女性研究者」サイトが、まさに羽ばたき、日本の男女平等参画推進の一助になればと願っています。
 

第三回 豊かな未来に向けて

情報・システム研究機構 事務局長 呉 茂 

 世界大戦後の思想界において一世を風靡した実存主義の余燼が未だ燻っていた私の学生時代、サルトルなどを読み漁っていた延長で、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉に行き当たり、まさに驚天動地の衝撃を受けました。

 私は幼い頃から家庭も学校も周囲は男ばかりで、青春時代は、女性とは別の言葉をしゃべる全く違った生き物ではないかと嘆くくらい、男女間のコミュニケーションに難儀していました。しかし、その後はなんの疑問を抱くこともなく、就職し更に結婚して子どもを儲け、規範づくめのさまざまな人生のステージを遮二無二歩んでいるうちに、「な~んだ、自分も男としてつくられてきたのではないか、なんて不自由なのだ、その意味では男性も同じだ」と実感するようになりました。

 殊に海外との交流の仕事に携わるようになって、もしもそのように同じであると思うならば、やはり"gender equality"でなければ、人間としてフェアじゃないと考えるようになりました。果たしてこの社会では、女性は男性と対等の仲間であり、あらゆる活動領域で活躍する機会が得られ、さまざまな利益を共有できているのかな?そう自問してみると、社会人として管理職として、やらなければならないことが見えてくるような気がします。

 因みにボーヴォワールはセックスとジェンダーとの相違、また後者が社会や文化の中で獲得されるアイデンティの一つであることを明らかにしようとしていたといわれています。今日的にジェンダーを考えるときに、いろいろな解釈がなされているようですが、生物学的な性差だけでなく、社会的文化的な性のありようの違いに目を向けることは、理解や問題の取り組みにおいて重要な手がかりになるものと思います。ただしその「ありよう」も科学・技術や情報手段の急速な発達により、驚くほど変容しつつあり、物理的にも意識の上においても、男女の距離はどんどん縮まってきているように感じられます。

 もっとも社会的なコンセンサスが必要な改革・改善への道のりは平坦ではありません。科研費を増額したからといって直ぐに優れた論文が陸続と産出することにならないように、サイエンスの領域、特に人材の養成に関しては、単純な国際比較、無理な数合わせ、性急な評価は逆効果で、政策的に配慮を行うこと自体は否定しませんが、あまり実効を挙げているようには見受けられません。机上で大計画を作成するよりは、働きやすい環境づくりに向けて、実態を調査・分析し、こまめに資源のアロケーションやシステムを変えて、できるところから今すぐに積極的かつ持続的に取り組んでゆくことが肝要かと考えます。

 日本政府の財政は破綻寸前で、教育研究機関への支援も先細りの状況です。こうした窮乏下においては、機構も研究所も、一人でも優秀な人材が欲しい、採用したならばしたで能力のアップを図り一騎当千となって欲しい、経験豊富なベテランにはいつまでも留まって欲しい、と願うのは当然のことで、そこには男性、女性の区別は無用です。それを実現するためには、先例に捉われず、費用や機会を惜しまず、できるだけオープンに進める必要があります。

 長い人生においては、男女の差よりはむしろ人それぞれの違いの方が大きく、そこにこそ人間の魅力があります。人権を尊重し、それぞれの能力を正当に評価し、個性の豊かさを真摯に追い求めることは、自ずと男女の差別をなくしてゆくことにつながってゆくものと信じています。